誰かのために生きるという事。
大切な人が亡くなると、その責任を感じることがありますよね。
私も21歳だったかなぁ。婚約していた人が亡くなったとき、本当にショックで記憶も曖昧です。とても親切にしてくれたその時代の友人たちとの交流も絶ったままです。つい先日小学校3年のときに入院していた病院で同室だった子の最後の一人が亡くなったという話が飛び込んできました。私は4人部屋で、最後に入院したのが私でした。本当なのかどうなのか確かめることはいくらでもできますが、確かめる勇気がありません。確かめたところで何ができるかもわかりません。そうなんだと事実を受け止めることしかできず悲しみに暮れるだけです。でも、私たち同室のメンバーはいつか誰かが先に死ぬということはわかっていてかけがえのない時間を過ごしていました。
原因不明の病気で左脇のリンパを手術で切除した私に、生まれたときから一生の入院生活が決まっている彼女たち三人は親切で、優しかったです。
最後に入院したのに、最初に退院することが決まり、複雑な心境になりすぎて、ちゃんと言葉を交わせませんでした。
学校の運動会にたった1度だけ参加できないことくらいで親にあたっていた入院中の私を、運動会を一生経験することのない彼女たちはどう感じていたでしょうか。
退院したあと、ことあるごとに思い出します。
病院の中の学校ではさまざまな病気を抱えながらそれでも一生懸命勉強している子供たちが沢山いました。
ストレスを温かく受け止める先生や看護師さん、本当によくしてくれました。
点滴ひきづってかけっこしちゃって、チューブが切れて、血液が逆流して、病院の廊下を血まみれにしてしまった暴れん坊の私だったけど
担当のサガラ先生はひょうひょうと笑っていたように感じます。
寝る前にいつもベッドのよこに座ってくれて
沢山話をしてくれました。
人の命の長さは、生まれた時から決まっているという人もいますね。私も実はそう思っています。でも、その長さを長くするのも短くするのも本人だと思います。
私はいつ死んでもいいように後悔しないよう生きてきました。
でも、まだ死にたくないと思うようになりました。
今死んでもそれが運命。そう思っていたのに。
今年に入って自分の考えや価値観がどんどんかわっているように思います。
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