自分の幸せは誰かの犠牲で成り立っていないか
自分が何かをしているとき、それはやりたくてやっていることなのかもしれないが、それでは自分がやりたくないことをやっていないときそれをだれがやっているのだろうか。その人が喜びをもってやっているならよいかもしれないが誰かがやらないといけないのだからというマインドで取り組んでくださっているならそこには尊敬と感謝を向けるしかない。自分が生き生きと過ごせているときそれは誰のおかげなのか常に考える必要がある。自分の事を大切にすることが大切という言葉を最近耳にするが、大切なのは何事に対しも前向きに取り組める人であるかどうか、自分に問い続けることではないだろうか。うまくやることよりも、そのことに前向きに取り組もうとする姿勢、いつまでもどこまでも学び続けようとすることはとても大切なこと。
先日43回目のお誕生日でした。当日は本当に幸せで、家族、親戚、友人などなど沢山の方に祝福していただきました。小さいころ私は体が弱く入院していた時期もありました。出会う友人と別れのイメージが付きやすく、その場にも人にもなじめず本ばかり読んでいたように思います。未来に希望が得られず日々をやり過ごすことを考えていました。ストレスもすごく感じていました。
もし過去に戻れるなら、もっと何も考えなくていいよと言ってあげたいです。もっと楽にしていていいよと、沢山の人と出会って、いろなことあるけど、楽しく過ごせるよと。
この先にもいろんなことがあるかもしれないけど43歳の一年も自分にできることを一生懸命やりたいです。
しかしいまだに自室にベッドを買うか、こたつを買うかで迷っています。自宅の部屋の中で一番広い部屋を授けられたのに、いまだに布団を真中にしいてぐだぐだしております。笑
部屋のレイアウトとか考えるのが得意な人と、買い物行きたい!
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